GACCOH全国出張版「やっぱり知りたい! 技術と哲学の臨界点」東京編 in東京
イベントは終了しました
コンピュータは「思考する機械」ではありません。これまでコンピュータと対峙して思考を迫られたのは、むしろ私たちの方なのです。知性の歴史におけるコンピュータは、私たち自身にどのような「思索の課題」を与えてきたのでしょうか。本講座では、このような観点から科学・思想の両域を横断するコンピュータの歴史を紐解いていきたいと思います。
計算テクノロジーは現在、私たちの文化的生活を支える「不可視のインフラ」として作動しつつあります。コンピュータで仕事をこなしながら映画をみたり、ゲームで遊んだりする私たちは、今日において経験されるありとあらゆる文化的産物の背後に何らかの「計算処理」がかかっているという状況にとても慣れ親しんできましたが、少し歴史的に考えて、かつての計算機が生まれた地平を視野に入れれば、こうした状況があり得たこと自体に多少の驚きを感じずに入られません。コンピュータはもともと数学・論理学という純粋な「理性」の世界の産物であり、私たちの身体的な感性とは無縁の存在だったとも言えます。それが現在のように人間の文化的活動、あるいは「感性」の世界に浸透していくということはいつ、どのような条件のもとで可能になったのでしょうか。そして、知性を補助する偏在的な技術環境に生まれ変わっていくコンピュータと対峙し、その存在から刺激された歴史上の人文学・哲学者たちは、どのような経験をし、どのような反応を示してきたのでしょうか。
以上の大きな問題視野をもとに、みなさまとディスカッションをしていきたいと思います。この講座が、現代のテクノロジー的条件が形成された技術と知の歴史に触れる機会になればうれしいです。
第一回「アラン・チューリング、あるいは暗闇のスキャナー」
映画『イミテーション・ゲーム』でも話題となった数学者アラン・チューリングは、コンピュータの父として知られています。しかし、現代に至る計算テクノロジーの原案となった彼の「チューリング・マシン」は、彼一人が夢の中で思い描いて誕生させたものなのでしょうか。むしろ、それがどのような哲学的議論の中で形となったかを知ることが重要であり、そうした歴史的な問題を辿っていくうちに、私たちは初めてコンピュータという機械の本質に迫ることができると思います。初回では、情報化の先駆者となったチューリングとその時代について、「理性と感性の分離」という、哲学史ならではの観点から紹介していきます。
第二回「コンピュータは絵を描き、芸術家は計算する」
コンピュータの仕組みはしばしば「脳」と例えられることがありました。あえて人体のアナロジーを使うならば、初期の計算機はたしかに「脳」だけを巨大な空間へ拡張し、それ以外の身体性をまるで持っていなかったかのような怪物でした。そんな手足のないモンスターにもかかわらず、その存在から刺激を受け、または自らの創造活動に取り込んだ芸術家はすでに1960年代から登場しました。この回では、彼らの実践において「理性」と「感性」が新たに交差しつつ、コンピュータ独自の感性論を生み出してきた様々な場面をみていきます。現在のメディア環境には、つねにすでに計算テクノロジーが介在しているからこそ、この状況が初めて可能になった歴史に触れる機会をお届けしたいと思います。
第三回「計算技術と対峙する人文学、哲学者は電脳の夢を見るか?」
情報化の波をいち早く受けとめた哲学者の中でも、マルティン・ハイデガーは避けて通れない存在です。この講座を締めくくるにあたり、ハイデガーの論文「哲学の終焉と思索の課題」を読みながら、コンピュータという思考させる機械が20世紀の思想史においてどのような痕跡を残してきたかについて考えたいと思います。コンピュータを眼前とした社会の中で、人間性の定義、思考の定義はどのような変更を迫られたのでしょうか。また、フランス構造主義における形式言語や「コード」への根強い関心と、当時の情報技術およびその理論とのあいだには、いったいどのような関係があったのでしょうか。現在も流行している「デジタル・ヒュマニティーズ」までの、人文学と計算テクノロジーの出会い、またはすれ違いについて、歴史的に遡って考察する回になります。
日程:
第一回「アラン・チューリング、あるいは暗闇のスキャナー」・・・・2018年2月10日(土) 18:30-20:30
第二回「コンピュータは絵を描き、芸術家は計算する」・・・・2018年3月11日(日) 18:30-20:30
第三回「計算技術と対峙する人文学、哲学者は電脳の夢を見るか?」・・・・2018年4月14日(土) 18:30-20:30
会場:ブックハウスカフェ
〒101-0051 東京都 千代田区神田神保町2-5 北沢ビル1F
(地下鉄神保町駅A1出口を出て右に30m。靖国通り南側、神保町交差点と専大前交差点の中間にあります。)
主催:GACCOH
共催:よはく舎
1986年、南ドイツ・バイエルン生まれ。ウィーン大学・大阪大学・ベルリン自由大学で日本語と比較文学を専攻。現在、東京大学大学院博士後期課程。関心領域はエピステモロジー、メディア技術論。共訳書としてマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』を2018年2月に堀之内出版から刊行予定。
<初級>
アポストロス・ドクシアディス、クリストス・パパディミトリウ、『ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門』、筑摩書房、2015年
数学と論理学の歴史におけるラッセルの仕事を追いながら、それ自体も一種の論理哲学入門をなすグラフィック・ノベル。コンピュータの理論がどのような思想的な空間から生まれてきたに関して示唆に富んでいますし、普通に読み物としても楽しると思います。
<中級>
ジョセフ・ワイゼンバウム、『コンピュータ・パワー 人工知能と人間の理性』、サイマル出版会、1979年
人工知能の神話を論破してきた第一世代の中で、ワイゼンバウムはMITの研究所でシステム開発に携わった経歴のある、数少ない「理系」の代表者でした。プログラミングの現場からコンピュータの作動原理について基礎知識を一般読者に提供し、その技術の可能性と限界をいち早く論じようとしたエッセンシャルな著書です。
<上級>
伊藤和行(編集) 『チューリング:コンピュータ理論の起源』、近代科学社、2014年
計算理論をめぐって書かれたチューリングの論文の邦訳とともに、丁寧な解説がなされています。コンピュータのもっともコアな仕組みを数学的基礎から理解したい人におすすめです。
フリードリヒ・キットラー、『グラモフォン・フィルム・タイプライター』、筑摩書房、1999年
アナログ・メディアの系譜からみた感性の「機械化」および「デジタル化」の文化史。やや難解な著作として知られていますが、人間主体をとりまく技術環境に対して開かれる歴史的視野は膨大かつ明晰です。もともと1986年に発表されたとはいえ、その議論は全くアクチュアリティを失っていないと思います。
コメント
チケット情報
このチケットは主催者が発行・販売します
三回通しチケット
第一回「アラン・チューリング、あるいは暗闇のスキャナー」
お支払い方法
チケットの取出し方法
お問い合わせ先
- メールアドレス
このイベントを見ている人にオススメ
読み込み中