【対面講義】「最澄・徳一論争を読み解く」 in京都
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概要
平安時代初期におきた最澄と徳一の論争は、「三一権実諍論」などとも呼ばれ、日本仏教史のなかでも広く知られた論争である。この論争は、一乗思想と三乗思想、一切皆成仏(すべての衆生がブッダになれる)説と一分不成仏(一部の衆生はブッダになれない)説といったインド以来の対立の延長線上にあり、その最高潮である、という見方がされてきた。しかし、実際に『守護国界章』などの文献を読んでみると、そのような単純な二項対立ではなく、様々な思想がモザイクのように引用されており、そのこみいった議論にたじろぐ人も少なくない。なぜこんなに複雑なのか。そしてなぜ、この複雑な論争が、単純な二項対立として語られてきたのか。
近年、この論争がより広範な思想的対立が絡み合う中で成立したものであることが明らかになっている。特に、奈良時代から平安時代初期にかけての列島の仏教界で大きな問題であった、三論宗と法相宗の対立――いわゆる「空有の論争」が大きな背景としてあった。この対立も、「空」vs.「有」という単純な対立ではなかった。三論・法相の対立や最澄・徳一論争を読み解くには、広範な東アジア仏教思想の文脈を読み解く必要がある。
本講義では、最澄・徳一論争が東アジア仏教思想史の中でどのように位置付けられるのか、近年の研究をふまえつつご紹介したい。そして、この広範な文脈が、一乗/三乗の対立、という二項対立として理解されるきっかけとなった最澄の歴史叙述についても、言及することになるだろう。
講師
師 茂樹
参考文献
- 常盤大定『佛性の研究』(丙午出版社、1930年)
- 田村晃祐『最澄教学の研究』(春秋社、1992年)
- 師茂樹『論理と歴史:東アジア仏教論理学の形成と展開』(ナカニシヤ出版、2015年)
- 書評チャンネルでも紹介しています(前編[無料]、後編[有料会員のみ])。
- 【講義アーカイブ】様々な「視点」から考える唐初期三一権実論争(生成と多重視点の仏教学 特別講義)(講師:小野嶋祥雄)[2021年1月16日] 科学/動画 - ニコニコ動画
「生成と多重視点の仏教学」とは
このシリーズ講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教(および東アジア仏教)の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
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