GACCOH哲学カフェ 第3回「動物を食べることは悪か?」 in京都
イベントは終了しました
GACCOH哲学カフェ
「哲学カフェ」は、その場に集まった人々が一つのテーマについて話し合う、対話型ワークショップです。
今回のテーマは「動物を食べることは悪か?」
今回は、動物を食べるということの意味について対話したいと思います。ただし、肉食が健康によくないとか、お金がかかるとかいう問題ではありません。むしろ、それは倫理的に善であるのか、悪なのか、あるいは倫理的に食べてもよい動物は何であり、また望ましい食べ方はどのようなものなのか、ということです。
私たちの住む地球には様々な生き物が存在します。生き物たちは別の生物を食べ、また別の生物から食べられたりします。「弱肉強食」などという言葉もありますが、どんなに強い動物であっても、最終的にはバクテリアなどによって食べられることになります。しかし、そうした相互的な関係から唯一脱け出しているのが、私たち人間に他なりません。
人間は一方的に動物を食べるだけの存在です。その上、食べることだけを目的として動物を育てたり、交配させたり、意図的に太らせたりすることもあります。場合によっては、自然界から動物を絶滅させることさえもします。そうした極端なことは自然界ではほとんど起こりません。しかし、そうした営みが私たちの日々の食卓を支えています。私たちにとって当たり前の食事は、自然界にとっては決して当たり前のことではないのです。
ただし、私たちはどんな動物も無差別に食べているわけではありません。多くの場合、私たちはある特定の動物だけを食べ、それによって食文化を形成しています。たとえば、鶏や豚や牛は多くの国と地域で「食べてもよい動物」だと思われています。一方で、これと反対に、ある特定の動物は決して食べてはいけないと見なされることもあります。イルカはそうした動物の典型でしょう。
しかし、「食べてもよい動物」と「食べてはいけない動物」の間に、一体どのような明確な違いがあるのでしょうか。イルカを食べることを非難する人は、豚を食べることを等しく非難するべきなのでしょうか。それとも、やはり豚とイルカは違うのであって、その違いが食に関する倫理的な是非の根拠になるのでしょうか。そうだとしたら、境界線はどこに引かれるのでしょう。
また、どんな食べ方をするか、ということも興味深い問題を引き起こします。野生の動物との戦いを通じて狩られた肉と、家畜として屠殺された肉との間には、何か違いがあるのでしょうか。あるいは、私たちは屠殺の方法にも何らかの配慮をするべきなのでしょうか。それとも、肉はあくまで食材あるいは商品なのであって、それを調達することは徹底して合理化されて然るべきなのでしょうか。
そもそも「食べる」という行為は人間にとって何を意味しているのでしょうか。私たちは一つの生命です。しかし、同時に私たちは別の生命を食べなければなりません。しかしそれは、別の生命を取り込まなければ生きていけない、ということを意味します。そうだとしたら、私たちは本当に「一つの生命」と言えるのでしょうか。「食べる」という行為によって、私は他者とどのように関係しているのでしょうか。
哲学に関する専門的な知識は一切不要です。「動物を食べることは悪か?」について、あなたの考えを聞かせてください。たくさんの方のご参加をお待ちしております。
ナビゲーター: 戸谷洋志(とや・ひろし)大阪大学大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策教室 特任研究員
ドイツの現代思想を中心に、科学技術の社会への影響を哲学・倫理学の観点から研究している。また、市民に開かれた哲学の実践にも関心をもっている。西千葉哲学カフェを主宰。著書に、『Jポップで考える哲学――自分を問い直すための15曲』(講談社/2016年)がある。
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