「やっぱり知りたい!ジャン゠リュック・ナンシー」第2回「私」の身体とはなにか――ナンシーの身体論 in京都

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「やっぱり知りたい!ジャン゠リュック・ナンシー」第2回「私」の身体とはなにか――ナンシーの身体論

2018/3/3(Sat) 18:00~2018/3/3(Sat) 20:00

Doors:2018/3/3(Sat) 17:50~

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「やっぱり知りたい!ジャン゠リュック・ナンシー」

 ジャン゠リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy, 1940- )という哲学者をご存知でしょうか。ジャック・デリダの脱構築思想を受け継いでいるとされるフランスの現役の哲学者で、日本でも20冊以上の著作が翻訳されています。とりわけ、現代哲学における共同体論の代表的論者として有名で、ジョルジュ・バタイユやモーリス・ブランショの名とともにその名をご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ナンシーの活動は、共同体論だけでなく、ヘーゲルやハイデガーらのドイツ哲学の注釈から、政治論・民主主義論、イメージ論、福島の原発事故を論じた文明論など多岐にわたっており、それぞれの領野で大きな注目を集めています。70歳を越えた今もナンシーは世界を飛び回り、2017年には三度目の来日を果たし、日本ではこれまで大小三回の雑誌特集が組まれています。現在、世界的にもっとも影響力をもっている哲学者の一人と言っても過言ではないでしょう。
 上でも記したように、ナンシーの哲学はデリダの脱構築思想の影響下にあるとされています。ナンシー自身が脱構築という言葉を多用することもあり、これまで多くの論者がナンシーと脱構築思想の影響関係を自明のものとしてきました。しかし、はたしてナンシーにおける脱構築とデリダにおける脱構築は同一の事柄なのでしょうか。もしそれらが異なるのであれば、ナンシーの脱構築の特徴はどこにあるのでしょうか。今回の講座では、ナンシーの共同体論と身体論という主要な二つの問題を紹介したうえで、キリスト教哲学という観点を導入することによって、この問いへとアプローチしたいと思います。ナンシーの哲学の底流にはつねにキリスト教哲学があり、それがナンシーの脱構築思想にも大きな影響を与えているのです。私たちは、三回の講座を通して、ナンシーの哲学の基本的な枠組みを理解すると同時に、キリスト教哲学という観点から「ナンシーにとって脱構築とはなにか」という問題に迫りたいと思います。

第1回 なぜ存在は共同的なのか――ナンシーの共同体論
 ナンシーが1980年代半ばに発表した独自の共同体論は、その射程と評価をめぐって世界的な議論を巻き起こしました。ナンシーの共同体論の特徴は、ハイデガーやバタイユを参照しながら存在論として共同体が論じられているところにあります。存在の問題として、つまり哲学の問題として共同体を論じるということは、いかなることなのでしょうか。それは私たちが現在生きている共同体とどのような関係にあるのでしょうか。ナンシーの共同体論の基本的な枠組みを提示したうえで、みなさんと一緒にこれらの問題を考えていきたいと思います。
キーワード:存在、差異、特異性

第2回 「私」の身体とはなにか――ナンシーの身体論
 1991年、ナンシーは心臓移植手術を受けることになりました。それと前後して、多くの身体論が発表されるようになり、2000年には心臓移植についての手記『侵入者』が出版されます。1990年代以降のナンシーを特徴づけるこの身体論は、ナンシー自身の心臓移植経験や私たちの日々の身体経験と、1980年代の共同体論において練り上げられた存在論とのあいだを絶えず往還しながら構想された新境地でした。1980年代から90年代にかけてのナンシーの思考の変遷を追ったうえで、ナンシーの身体論が有する射程をとらえることを試みます。
キーワード:心臓移植、免疫、皮膚

第3回 ナンシーにとって脱構築とはなにか――ナンシーとキリスト教哲学
 最終回では、共同体論、身体論という前二回の内容を、キリスト教哲学という観点からとらえ直します。そのために、私たちはここでナンシーの活動の出発点に立ち返りたいと思います。ナンシーは1963年に、人格主義というキリスト教左派運動の雑誌『エスプリ』に論文を発表することからそのキャリアを開始しました。従来の研究では、ナンシーのキリスト教左派運動への関与は一時的で、その後はデリダの脱構築思想へと向かっていったと考えられてきました。しかし、事態はそう単純なものではありません。共同体論をはじめとするその後の活動にも、キリスト教哲学としての人格主義が影を落としているのです。最初期のキリスト教哲学の影響下にあるナンシーを知ることによって、前二回の講座の内容が違った仕方で見えてくるはずです。キリスト教哲学という観点から、「ナンシーにとって脱構築とはなにか」という問いに答えたいと思います。
キーワード:キリスト教哲学、目的論、「古名」の戦略

 
 
日程:
第1回 なぜ存在は共同的なのか――ナンシーの共同体論・・・・2018年1月27日(土) 18:00-20:00  終了いたしました。
第2回 「私」の身体とはなにか――ナンシーの身体論・・・・2018年3月3日(土) 18:00-20:00
第3回 ナンシーにとって脱構築とはなにか――ナンシーとキリスト教哲学・・・・2018年3月31日(土) 18:00-20:00
 
 

ナビゲーター:

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伊藤潤一郎(いとう・じゅんいちろう)

早稲田大学文学研究科博士後期課程
専門は現代フランス哲学、キリスト教哲学
研究業績はこちらをご覧ください
 
 

参考文献:

入門:澤田直『ジャン゠リュック・ナンシー――分有のためのエチュード』(白水社)
 日本語で読めるナンシーについての唯一の入門書です。共同体論、イメージ論、キリスト教論の三つの軸に沿って、ナンシーの思想の要点が明快に記述されています。また、著者自身のインタビューの成果を踏まえた伝記的情報もコンパクトながら充実しており有益です。

中級:ジャン゠リュック・ナンシー『無為の共同体』(以文社)
 入門書でナンシーの哲学の大まかな概略をつかんだら、すぐにこの共同体論の主著に向かうのがよいと思います。全体は五部から構成されていますが、まずは第一部「無為の共同体」をじっくり読むのがお勧めです。西谷修、安原伸一朗両氏による明晰な訳文と、理解を助ける豊富な訳注のおかげで、思いのほか容易に読み進めていくことができるはずです。

上級:ジャック・デリダ『触覚、ジャン゠リュック・ナンシーに触れる』(青土社)
 最後に上級編としてデリダのナンシー論を挙げておきます。デリダはこの本で、ナンシーにおける「触れること」というモチーフを執拗に論じ、ナンシーの哲学の意義を伝統的な「触覚中心主義」の形而上学からの断絶に見て取っています。さらには、メーヌ・ド・ビラン、エマニュエル・レヴィナス、モーリス・メルロ゠ポンティ、ジャン゠ルイ・クレティアン、ディディエ・フランクらがナンシーと並行して論じられることによって、デリダの視点から見たナンシーを取り巻く思想的な星座が浮かび上がってきます。

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2018/1/28(Sun) 11:00~

2018/3/3(Sat) 17:30

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