2017/3/19 16:55 追加
1970年代から80年代頃、カルト的人気を博し、今なお伝説の雑誌『Jam』と『HEAVEN』。
店頭に並ぶ通常の雑誌とは異なり、「自販機本」という特殊な形態で販売されたこれらの雑誌は、狂気とアート、冗談と真実が切羽する巧妙な均衡の上に立つ独自の編集方針を掲げ、グラビア、カルチャー、オカルト、文芸など、あらゆる境界を大胆に侵食した唯一無二の世界観を築き上げました。その怪物的な存在は、後のクリエイターたちに多大なる影響を与え、『クイック・ジャパン』や『スタジオ・ボイス』など今日あるカルチャー雑誌の源流となっています。
両雑誌の編集に関わっていた山崎春美は70年代後半から80年代にかけて「ガセネタ」「TACO」と前衛的ロックバンドのメンバーとして活動され、灰野敬二、白石民夫、工藤冬里、ECD、坂本龍一、佐藤薫、遠藤ミチロウ、町田町蔵、上野耕路、花輪和一、さらには鬼籍入りしたロリータ順子、江戸アケミ、篠田昌巳、大里俊晴、合田佐和子など、多彩なミュージシャンやアーティストたちと交流して、アンダーグラウンドカルチャーにおいて、その名を強烈に轟かせます。
1977年、佐内順一郎(高杉弾)らとの出会いから、自販機本『Jam』の編集人となり、また、1979年には、松岡正剛さん主催の編集塾「遊塾」に参加し、雑誌『遊』(工作舎)増刊号をはじめとした編集も手がけられ、続く1980年には『Jam』の後継誌『HEAVEN』を創刊、廃刊時には近藤十四郎に続いて、3代目編集長に。それらすべての号の表紙周りから内容に至るエディトリアル・デザインを担った羽良多平吉は『宝島』の前身である『ワンダーランド』を手がけ、当時、飛ぶ鳥を落とす人気だったYMOをはじめ、数々の伝説的局面に頭角を顕せた才人と言えましょう。その他にも祖父江慎、香山リカ、細川周平、美沢真之助(隅田川乱一)、戸田ツトム、蛭子能収、渡辺和博などその後活躍する多くのクリエイターが雑誌に関わっていました。
また、1983年日比谷野外音楽堂で行われた、HAVANA MOON主催イベント「天国注射の昼」には、じゃがたら、町田町蔵、THE FOOLS、GAUZE、突然段ボール、コクシネルなど当時のアンダーグラウンドシーンで活躍するバンドが多数出演し、その模様を収録したVHSは、今なおプレミアがついています。
『Jam』そして『HEAVEN』は、観念の上に遊び、雑誌編集という概念を翻弄しながらも、時代の関心を鋭く射止め、日本の雑誌が最も活気に満ちていた時代に鮮烈な印象を残したのです。
この度、本屋EDIT TOKYOでは、山崎春美、『HEAVEN』2代目編集長・近藤十四郎、『HEAVEN』で編集部のブレーンであった野々村文宏、そして『HEAVEN』のデザインを担当していた羽良多平吉、4氏をお招きし、当時の編集部がどのようにして雑誌を作り上げたのか、圧倒的な才能を放って現れた山崎春美という若者がどのような存在であったのかを、時代背景や、関係のあったミュージシャン、文化人たちとのエピソードを含め、存分に伺いたいと思います。
現代の編集の定義やあり方を揺さぶる、強烈な2時間になるはずです。
お見逃しなく!
【プロフィール】
山崎春美(やまざき・はるみ)
1958年大阪生まれ。高校生だった1976年、阿木譲の雑誌『ロック・マガジン』でデビュー。上京後、松岡正剛「工作舎」へ入塾、自販機本『Jam』『HEAVEN』をはじめ数々の雑誌へ寄稿。音楽方面では、伝説の前衛ロックバンド「ガセネタ」「タコ」で活動。1980年代に「自殺未遂ライヴ」「天国注射の昼」など、複数のシーンであまたの《事件》を起こし、その禍々しい煌めきでカルチャー・シーンに火を放ったが、その後沈黙。2013年8月これまでの執筆活動を自選した初の単著『天國のをりものが 山崎春美著作集1976-2013』(河出書房新社)を刊行。近年「タコ」「ガセネタ」の音楽活動を再開。JKS47、友川カズキのアルバム「光るクレヨン」等に朗読で参加。
近藤十四郎(こんどう・としろう)
出版物、印刷物制作=近藤謹製。独立講座ペチゼミ主催。「荒野の水槽楽団」など音楽の活動。俳句の創作。過去の主な作品:出版物/HEAVEN、陽炎座豪華パンフレット、月刊浄土。レコード/BAKAZU(4枚)CD/近藤十四郎with水の底楽団[近藤十四郎]、近藤十四郎meets尾形慶次郎[St.D'A-Gig(千駄木)] 俳句/句誌「月天」第九號誌上小句集バナナ。『HEAVEN』では2代目編集長を務めた。
野々村文宏(ののむら・ふみひろ)
美術批評。和光大学准教授。インターネット、現代美術など幅広い領域の調査執筆活動を行っている。著書に『漫画ダン・グレアム物語』(Kindle版/PDF版)『情報メディア学入門 』『知識人の責任』(翻訳)など。1980年に山崎春美を通じて『HEAVEN』で編集部のブレーンとなり、その後雑誌業界に参画した。
羽良多平吉(はらた・へいきち)
書容設計家、エディトリアル・デザイナー。東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。1970年東京芸術大学美術学部工芸科ヴィジュアル・デザイン専攻卒業後、「編輯設計」に絞り込んだ仕事を通して幅広い世代からの熱烈な支持を得る。1989年6月より(株)EDiX(エディックス)代表。「ウレシイ編輯、タノシイ設計。」をキーワードに、精緻な色彩設計と,大胆なタイポグラフィによるエディトリアル・デザインを展開。「YMO」や「HEAVEN」「Ouick Japan」「EUREKA」「QUILALA」等のプロジェクトの他、近年は、デヴィッド・ボウイの撮影で著名な鋤田正義氏の「企画写真展」への参画。「白の消息」を巡るタイポグラフィとモダニズムの独習研鑽。 若い世代へ向けて、エディトリアル・デザインを楽しく究めようとする「えほんごラボ」プロジェクト等を推進している。
2017/3/19 16:39 追加
1970年代から80年代頃、カルト的人気を博し、今なお伝説の雑誌『Jam』と『HEAVEN』。
店頭に並ぶ通常の雑誌とは異なり、「自販機本」という特殊な形態で販売されたこれらの雑誌は、狂気とアート、冗談と真実が切羽する巧妙な均衡の上に立つ独自の編集方針を掲げ、グラビア、カルチャー、オカルト、文芸など、あらゆる境界を大胆に侵食した唯一無二の世界観を築き上げました。その怪物的な存在は、後のクリエイターたちに多大なる影響を与え、『クイック・ジャパン』や『スタジオ・ボイス』など今日あるカルチャー雑誌の源流となっています。
両雑誌の編集に関わっていた山崎春美は70年代後半から80年代にかけて「ガセネタ」「TACO」と前衛的ロックバンドのメンバーとして活動され、灰野敬二、白石民夫、工藤冬里、ECD、坂本龍一、佐藤薫、遠藤ミチロウ、町田町蔵、上野耕路、花輪和一、さらには鬼籍入りしたロリータ順子、江戸アケミ、篠田昌巳、大里俊晴、合田佐和子など、多彩なミュージシャンやアーティストたちと交流して、アンダーグラウンドカルチャーにおいて、その名を強烈に轟かせます。
1977年、佐内順一郎(高杉弾)らとの出会いから、自販機本『Jam』の編集人となり、また、1979年には、松岡正剛さん主催の編集塾「遊塾」に参加し、雑誌『遊』(工作舎)増刊号をはじめとした編集も手がけられ、続く1980年には『Jam』の後継誌『HEAVEN』を創刊、廃刊時には近藤十四郎に続いて、3代目編集長に。それらすべての号の表紙周りから内容に至るエディトリアル・デザインを担った羽良多平吉は『宝島』の前身である『ワンダーランド』を手がけ、当時、飛ぶ鳥を落とす人気だったYMOをはじめ、数々の伝説的局面に頭角を顕せた才人と言えましょう。その他にも祖父江慎、香山リカ、細川周平、美沢真之助(隅田川乱一)、戸田ツトム、蛭子能収、渡辺和博などその後活躍する多くのクリエイターが雑誌に関わっていました。
また、1983年日比谷野外音楽堂で行われた、HAVANA MOON主催イベント主催イベント「天国注射の昼」には、じゃがたら、町田町蔵、THE FOOLS、GAUZE、突然段ボール、コクシネルなど当時のアンダーグラウンドシーンで活躍するバンドが多数出演し、その模様を収録したVHSは、今なおプレミアがついています。
『Jam』そして『HEAVEN』は、観念の上に遊び、雑誌編集という概念を翻弄しながらも、時代の関心を鋭く射止め、日本の雑誌が最も活気に満ちていた時代に鮮烈な印象を残したのです。
この度、本屋EDIT TOKYOでは、山崎春美、『HEAVEN』2代目編集長・近藤十四郎、『HEAVEN』で編集部のブレーンであった野々村文宏、そして『HEAVEN』のデザインを担当していた羽良多平吉、4氏をお招きし、当時の編集部がどのようにして雑誌を作り上げたのか、圧倒的な才能を放って現れた山崎春美という若者がどのような存在であったのかを、時代背景や、関係のあったミュージシャン、文化人たちとのエピソードを含め、存分に伺いたいと思います。
現代の編集の定義やあり方を揺さぶる、強烈な2時間になるはずです。
お見逃しなく!
【プロフィール】
山崎春美(やまざき・はるみ)
1958年大阪生まれ。高校生だった1976年、阿木譲の雑誌『ロック・マガジン』でデビュー。上京後、松岡正剛「工作舎」へ入塾、自販機本『Jam』『HEAVEN』をはじめ数々の雑誌へ寄稿。音楽方面では、伝説の前衛ロックバンド「ガセネタ」「タコ」で活動。1980年代に「自殺未遂ライヴ」「天国注射の昼」など、複数のシーンであまたの《事件》を起こし、その禍々しい煌めきでカルチャー・シーンに火を放ったが、その後沈黙。2013年8月これまでの執筆活動を自選した初の単著『天國のをりものが 山崎春美著作集1976-2013』(河出書房新社)を刊行。近年「タコ」「ガセネタ」の音楽活動を再開。JKS47、友川カズキのアルバム「光るクレヨン」等に朗読で参加。
近藤十四郎(こんどう・としろう)
出版物、印刷物制作=近藤謹製。独立講座ペチゼミ主催。「荒野の水槽楽団」など音楽の活動。俳句の創作。過去の主な作品:出版物/HEAVEN、陽炎座豪華パンフレット、月刊浄土。レコード/BAKAZU(4枚)CD/近藤十四郎with水の底楽団[近藤十四郎]、近藤十四郎meets尾形慶次郎[St.D'A-Gig(千駄木)] 俳句/句誌「月天」第九號誌上小句集バナナ。『HEAVEN』では2代目編集長を務めた。
野々村文宏(ののむら・ふみひろ)
美術批評。和光大学准教授。インターネット、現代美術など幅広い領域の調査執筆活動を行っている。著書に『漫画ダン・グレアム物語』(Kindle版/PDF版)『情報メディア学入門 』『知識人の責任』(翻訳)など。1980年に山崎春美を通じて『HEAVEN』で編集部のブレーンとなり、その後雑誌業界に参画した。
羽良多平吉(はらた・へいきち)
書容設計家、エディトリアル・デザイナー。東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。1970年東京芸術大学美術学部工芸科ヴィジュアル・デザイン専攻卒業後、「編輯設計」に絞り込んだ仕事を通して幅広い世代からの熱烈な支持を得る。1989年6月より(株)EDiX(エディックス)代表。「ウレシイ編輯、タノシイ設計。」をキーワードに、精緻な色彩設計と,大胆
なタイポグラフィによるエディトリアル・デザインを展開。「YMO」や「HEAVEN」「Ouick Japan」「EUREKA」「QUILALA」等のプロジェクトの他、近年は、デヴィッド・ボウイの撮影で著名な鋤田正義氏の「企画写真展」への参画。「白の消息」を巡るタイポグラフィとモダニズムの独習研鑽。 若い世代へ向けて、エディトリアル・デザインを楽しく究めようとする「えほんごラボ」プロジェクト等を推進している。
2017/2/24 21:25 追加
1970年代から80年代頃、カルト的人気を博し、今なお伝説の雑誌『Jam』と『HEAVEN』。
店頭に並ぶ通常の雑誌とは異なり、「自販機本」という特殊な形態で販売されたこれらの雑誌は、狂気とアート、冗談と真実が切羽する巧妙な均衡の上に立つ独自の編集方針を掲げ、グラビア、カルチャー、オカルト、文芸など、あらゆる境界を大胆に侵食した唯一無二の世界観を築き上げました。その怪物的な存在は、後のクリエイターたちに多大なる影響を与え、『クイック・ジャパン』や『スタジオ・ボイス』など今日あるカルチャー雑誌の源流となっています。
両雑誌の編集に関わっていた山崎春美は70年代後半から80年代にかけて「ガセネタ」「TACO」と前衛的ロックバンドのメンバーとして活動され、灰野敬二、白石民夫、工藤冬里、ECD、坂本龍一、佐藤薫、遠藤ミチロウ、町田町蔵、上野耕路、花輪和一、さらには鬼籍入りしたロリータ順子、江戸アケミ、篠田昌巳、大里俊晴、合田佐和子など、多彩なミュージシャンやアーティストたちと交流して、アンダーグラウンドカルチャーにおいて、その名を強烈に轟かせます。
1977年、佐内順一郎(高杉弾)らとの出会いから、自販機本『Jam』の編集人となり、また、1979年には、松岡正剛さん主催の編集塾「遊塾」に参加し、雑誌『遊』(工作舎)増刊号をはじめとした編集も手がけられ、続く1980年には『Jam』の後継誌『HEAVEN』を創刊、廃刊時には近藤十四郎に続いて、3代目編集長に。それらすべての号の表紙周りから内容に至るエディトリアル・デザインを担った羽良多平吉は『宝島』の前身である『ワンダーランド』を手がけ、当時、飛ぶ鳥を落とす人気だったYMOをはじめ、数々の伝説的局面に頭角を顕せた才人と言えましょう。その他にも祖父江慎、香山リカ、細川周平、美沢真之助(隅田川乱一)、戸田ツトム、蛭子能収、渡辺和博などその後活躍する多くのクリエイターが雑誌に関わっていました。
また、1983年日比谷野外音楽堂で行われた、雑誌『HEAVEN』主催イベント「天国注射の昼」には、じゃがたら、町田町蔵、THE FOOLS、GAUZE、突然段ボール、コクシネルなど当時のアンダーグラウンドシーンで活躍するバンドが多数出演し、その模様を収録したVHSは、今なおプレミアがついています。
『Jam』そして『HEAVEN』は、観念の上に遊び、雑誌編集という概念を翻弄しながらも、時代の関心を鋭く射止め、日本の雑誌が最も活気に満ちていた時代に鮮烈な印象を残したのです。
この度、本屋EDIT TOKYOでは、山崎春美、『HEAVEN』2代目編集長・近藤十四郎、『HEAVEN』で編集部のブレーンであった野々村文宏、そして『HEAVEN』のデザインを担当していた羽良多平吉、4氏をお招きし、当時の編集部がどのようにして雑誌を作り上げたのか、圧倒的な才能を放って現れた山崎春美という若者がどのような存在であったのかを、時代背景や、関係のあったミュージシャン、文化人たちとのエピソードを含め、存分に伺いたいと思います。
現代の編集の定義やあり方を揺さぶる、強烈な2時間になるはずです。
お見逃しなく!
【プロフィール】
山崎春美(やまざき・はるみ)
1958年大阪生まれ。高校生だった1976年、阿木譲の雑誌『ロック・マガジン』でデビュー。上京後、松岡正剛「工作舎」へ入塾、自販機本『Jam』『HEAVEN』をはじめ数々の雑誌へ寄稿。音楽方面では、伝説の前衛ロックバンド「ガセネタ」「タコ」で活動。1980年代に「自殺未遂ライヴ」「天国注射の昼」など、複数のシーンであまたの《事件》を起こし、その禍々しい煌めきでカルチャー・シーンに火を放ったが、その後沈黙。2013年8月これまでの執筆活動を自選した初の単著『天國のをりものが 山崎春美著作集1976-2013』(河出書房新社)を刊行。近年「タコ」「ガセネタ」の音楽活動を再開。JKS47、友川カズキのアルバム「光るクレヨン」等に朗読で参加。
近藤十四郎(こんどう・としろう)
出版物、印刷物制作=近藤謹製。独立講座ペチゼミ主催。「荒野の水槽楽団」など音楽の活動。俳句の創作。過去の主な作品:出版物/HEAVEN、陽炎座豪華パンフレット、月刊浄土。レコード/BAKAZU(4枚)CD/近藤十四郎with水の底楽団[近藤十四郎]、近藤十四郎meets尾形慶次郎[St.D'A-Gig(千駄木)] 俳句/句誌「月天」第九號誌上小句集バナナ。『HEAVEN』では2代目編集長を務めた。
野々村文宏(ののむら・ふみひろ)
美術批評。和光大学准教授。インターネット、現代美術など幅広い領域の調査執筆活動を行っている。著書に『漫画ダン・グレアム物語』(Kindle版/PDF版)『情報メディア学入門 』『知識人の責任』(翻訳)など。1980年に山崎春美を通じて『HEAVEN』で編集部のブレーンとなり、その後雑誌業界に参画した。
羽良多平吉(はらた・へいきち)
1947年9月28日生まれ。東京都武蔵野市吉祥寺南町出身。書容設計家、エディトリアル・デザイナー。1970年に東京藝術大学美術学部工芸科ヴィジュアル・デザイン専攻卒業後、書容設計、エディトリアル・デザインを中心にした仕事を通じて幅広い支持を集めている。1979年3月設立のエディトリアル・デザイン事務所「WXY(ダヴレクシィー)」を経て、1989年6月より「EDiX(エディックス)」代表。「ウレシイ編輯,タノシイ設計。」をキーワードに、補色や特色を自由自在に操る繊細な色彩感覚と、活字からグランジ・フォントまで横断する独特のタイポグラフィ感覚をあわせもった,唯一無二のデザインを展開。近年は「白の消息」を巡るモダニズムへの傾倒や、マージナル・ゾーンへ着目した新基軸を打ち出している。